肩を寄りそって、ギューッとながら。
「好き?」って聞いてみた。
照れた顔で「分からない」と返ってきた。
「好き」ってなんだろう。
私のアパートのソファーで、隣に座る女性が呟いた。
楽しく過ごしたその日、なにもなかった。
男性であれば、自分自身でさえ「セックスしたい」と「好き」を混同します。
男性は、嫌いな人でもセックスできます。
男性の場合、街で初めてすれ違った女性に対して、セックスしても良いと思える人(異性として見れる)か否かは一瞬で判断できますが、好き嫌いの判断はほとんどできません。
裏を返せば、セックスできると思える人か否かと好き嫌いは、まったく別のものであるとも言えます。
一方で、こんな問いがあります。
男性は女性に対して、友情が成り立つか?
私は、成り立つと思います。
例えば、一緒に長く付き合っていて、セックスレスになっている相手であっても「一緒にいるのが楽しいから一緒にいたい」でも「セックスはしたくない」って人いるじゃないですか。
シンプルに、異性として見れなくなっていますよね?
でも、好きですよね?
家族であれ恋人であれ、一緒に深く過ごした関係だから「愛情」だと呼び名を変えているだけ。
友情と愛情って、本質的に同じだと思います。
また一方では、本能的(感情的)に好きだけど、理性的に好きではないって場合もあります。
例えば、異性としていいなぁと不意に思ってしまっていたとしても、俯瞰をして総合的に考えた上で、この人と一緒にいたら幸せになれないと感じている場合です。
頭の中にいる、理性的な自分が「待って、待って!もう少し、見極めなさい」って言っている場合ですね。
合理性が、恋愛の邪魔をするってやつですね。
自分なりに、無理やり定義を揃えみます。
セックスできる=理性的や感情とは別に、本能的に、異性として見てしまう。
セックスできない=理性や感情とは別に、本能的に、異性として見れない。
感情的に好き=一時的ではなく繰り返し、好印象を想起してしまう
感情的に嫌い=一時的ではなく繰り返し、悪印象を想起してしまう
理性的に好き=本能や感情以外の部分を加えて総合的に、好印象を想起する
理性的に嫌い=本能や感情以外の部分を加えて総合的に、悪印象を想起する
人が「好き」になるまでの過程は以下の通りかもしれません。
セックスできるか否かという「一次審査」で最低点を超えているか。
いわゆる、雰囲気などを含めた全体的な、見た目です。
・清潔感があり、お洒落な雰囲気が素敵な男女
・異性としてそそられる身体つきの男女
・自身があって、振る舞いがスマートな男女
審査員による、最低点の高さは異なります。
「面食い(容姿が良いひとを好む人)」は最低点が高いのは承知。
「異性に容姿を求めていない人」は最低点が低いだけで、結局は容姿で選んでいます。
どんなに「容姿は気にしていないよ」って言う人でも、「身長140センチしかなくて、体重150キロのハゲだけど、性格イケメンでお金持ちだよ」って男性から口説かれても、一瞬ためらいますよね?
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